人 生 後 半 を 楽 し み た い

アメリカで見つかった小さな癌の記録 ⑦ / Breast Biopsy 乳房生検③

(2023年 梅雨)

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大出血

駐車場で車のドアを開けてくれた夫が気がついた。

薄いグレーのブラウスの前面に血が滲んでいる。

下に着ているTシャツや下着は滲んでいるどころではない。

一面真っ赤に染み出している。

病院の上階の検査室にまた戻って、入口にいた黒いジャンパーにジャージ姿のおばちゃんに急いで処置室に連れていかれた。

右の乳房は二重の大きな絆創膏でも足りないくらいの出血で、なかなか止まらない。

おばちゃんに血だらけの服や下着を脱がせてもらい、その後ベッドに横になった。

もう1人あとから受付の人も来てくれた。

おばちゃん達はプレッシャーと言いながら、身体を拭きながら、何か言っているけれど聞き取れない。

突然なので医療通訳さんはいない。

「I came to America less one year. I don’t understand English

アメリカに来てまだ1年経っていない、英語がわからない、like a baby」と言い訳しか言えなかった。

多分通じていない。

大きな包帯のようなモノを産後のお腹に巻くサラシのようにギュウギュウと胸に巻かれ、ナントカ止まって来た。

しばらく休んでから、検査室の外で待っている夫のところにおばちゃんと一緒に行って、おばちゃんが説明している。

こういう事はよくあるらしい、、、と。

けれど、夫はショックで元気が無くなっていた。

結局3時間半くらい病院にいた。

ジャンパーにジャージ姿だからわからなかったけれど、おばちゃんは立派なナースだった。

アメリカは白衣じゃないんだね。

数日は大人しくしている事、重い物を持ってはいけない事などいろいろと注意され、それに大出血を見た夫は検査後、出勤するつもりでいたのをやめて在宅にした。

朝いつも通りお弁当を作ったけれど それを家で食べた夫はその後食器を片づけたり、夕方にはお米を研いだり、お味噌汁を作ったりしていた。

血だらけの服や下着も洗ってくれた。

けれど、血だらけ過ぎてショックでビビっている。

こういう事があるかもしれないから、検査の時の服や下着は暗い色の方がいいね。

思えば末っ子の出産の時には義母も実母も具合が悪かったので、夫が休みを取って2人の子の世話と産後ケアをしてくれた。

幼稚園に通っていた長男の小さなお弁当箱に、作ったおかずいろいろが入らないけどどうすればいいか?と入院中の産院の病室の内線電話にかけてきていたな。

今のようなイクメンって言葉も、夫の産休も無かった27年前を思い出した。

あの時もいろいろ家事育児をやっていたけれど、、、

夫の仕事でアメリカに来たのに、万が一私が病気で治療したり弱ったりして、夫の仕事の足を引っ張るような事になったら申し訳ない。と言う気持ちでいっぱいになった。

大丈夫な痛み

心配している夫が痛い?大丈夫?と聞いてくる。

5㎜くらいの傷2つが多少ジンジンしているけれど、普段時々襲い来る神経痛激痛に比べたら全然痛くない。

どうってことない。

現在専業主婦だから自分の事だけやっていればいいから楽。

右乳房は内出血で紫のすごい色になり
直径5㎝くらいの塊りが出来ていた

世の中には仕事をしながら、介護をしながら、幼子を抱えながら治療している人もいるから、お世話したり抱っこしたり大変だと思う。

女性は出産後子どもが成人するまでの20年間は、病気にならないような体にしてほしいと神様にお願いしたいくらいだ。

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