人 生 後 半 を 楽 し み た い

代襲相続の連絡が来て思い出す事、思う事

司法書士から弟のところに届いた代襲相続の連絡。

母の兄が亡くなり、伯父には今は子どもがいないので姪甥の私たちに連絡が来た。

8人兄弟の母は7番目。昔の人は戦時中に子どもをたくさん産んだね。

5,6番目は夭折したので、一緒に育ったのは6人。

思い出す昔の事、、、

母(55才)の葬儀の時は、兄弟の中でも年下の母が亡くなったのに、10才以上年の離れた兄や姉が元気でいることが不思議だった。

私は生後2か月の末っ子を抱っこしながら悲しくて悲しくて泣いてばかりで、いろいろ声をかけてもらったけれど、「なんで若い母が亡くなって、伯父さん伯母さんがこんなに元気なの?」と拗ねた気持ちでまともに顔を見なかった。 

3人の子がいるのに私が子どものようだった。

その頃はスーパーで買い物していても、母と自分と同じくらいの母娘や母娘と小さな子が歩いているのを見るだけで涙が出てしょうがなかった。母を思い出しては泣いていた。

もっと早くに親を亡くす人もいるのに、自分が一番悲しい。と思っていた。

最後に伯父に会ったのは、それから8年後の伯父のひとり娘(38才)の葬儀の時だった。

私より1つ下の独身だった従妹は婚約者がいてこれからだったのに、70才を超えた伯父夫婦を置いて癌で先に逝ってしまった。

逆縁は辛い。

その6年後、私の小学中学の時の友達(45才)が病で亡くなった。

残された大学生と高校生の2人の娘や亡き友の両親の気持ちを考えると辛くなるし、不仲だった10才年上のご主人の両親が杖をついてお焼香しているのがまた不思議だった。

友達のお母様と挨拶したのは母の葬儀以来で、まさかの事で何も言えなかった。

母が亡くなってもうすぐ27年も経つのに、もっと早く病院に行っていたらと後悔ばかりで未だに悲しい。

あの時、泣いてばかりの私に夫は「親の老後の心配をさせないように、子ども孝行のお母さんなんだよ」と言っていたのを思い出す。

確かに今、親の老後や介護の心配なくのんびり過ごしている。

両家の墓参りに行くだけ、自分達の老後の心配だけ。

母が先に亡くなって、いつかは自分という順番通りの事だったと思えるようになった。

代襲相続の相続人は従兄弟達の10人。

子ども達に話したら、「従兄弟がたくさんいるね。」と言われた。

父の方の従兄弟15人を合わせたら、全部で23人か、、、

戦時中の「産めよ増やせよ」の頃に産まれた世代の子ども達だからね。

司法書士は戸籍や住民票で相続人の住所がわかったけれど、私は「ドイツ」としかわからないので弟から連絡が来た。

田舎の土地と家の相続らしいけれど、全て放棄で弟に代筆を頼んだ。

今回の事で親戚一同を思い出して気がついた事は、母の方の親戚は短命が多いという事。

母の方だけではない、父の方も短命だ。

健康に気をつけて、まだまだ元気でいないと。

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